VOICE Akatsuki

アカツキゲームスの最新情報をお届けするメディア

どこで誰と働くかが、あなたの未来を創る。ゲーム業界で10年以上イラスト制作を続けられた理由

2025.01.14

はじめに

ゲーム業界で働くことを目指すみなさんへ

僕は2013年にイラストディレクターとしてアカツキに参画して以来さまざまなプロジェクトに携わり、デザイナー組織のマネジメントも経験してきました。

この記事は、僕のイラスト制作の仕事に携わってきた13年のキャリアの歩みをまとめたものです。
何者でもなかった僕が、イラストディレクターとしてどうキャリアを歩んできたのか?
突出した才能があるわけではなかった僕が、イラスト制作を専門として10年以上キャリアを歩んでこられたのはなぜか?
記事を読んでいただければ、その理由に触れていただけると思います。

ゲーム業界で、イラストレーター・イラストディレクターとして生き残り続けることは、並大抵のことではありません。
この記事が、デザイナー・イラストレーターを志すみなさんのキャリアの指針の一助になることを願っています。

ちなみに、僕の13年にわたるキャリア史をまとめているので、結構な長文になっています。
ただ、ゲームの仕事現場では日々この何倍もの文字数を目にすることになるので、この記事を読み終えられるかは、ゲーム業界で働く適性を測るひとつの目安になるかもしれません。
みなさんが無事この記事を読み終え、お会いした際に感想を話し合えることをとても楽しみにしています。

柴田 陽一

柴田 陽一 Yoichi Shibata株式会社アカツキゲームス デザイン職能人事ヘッド

2013年にアカツキに参画。イラストディレクターとして『八月のシンデレラナイン』などさまざまなプロジェクトに携わり、デザイナー組織のマネジメントも経験。現在はデザイン領域の採用・組織開発・各プロジェクトの支援を担当している。

「人生どうせなら、おもろい方で」。36歳未経験でゲーム業界に飛び込む

ーイラストディレクターとして仕事をされるまでの経緯を教えてください。

「大人になったらホップ☆ステップ賞(*)を受賞したい」。小学校の卒業文集にはそんな夢を恥ずかしげもなく書いていました。子供の頃から漫画のキャラクターを描くことが大好きで、キャラクターを描くことは他の何にも代え難い特別なことだと感じていました。自分の描いたキャラクターが生き生きと動き回る未来を想像しては、ニヤニヤしていたことを思い出します。

そんな僕が東北の片田舎から「イラストレーターとして食っていく」と意気揚々と上京してきたのは2012年のことです。運良くゲーム業界への転職の機会を手にしたことがきっかけでした。子供の頃に慣れ親しんだ漫画業界ではなかったものの、キャラクターの絵を描くという憧れの仕事に就けることに興奮していました。

ただ、ちょっと変わったところがあるとすれば、僕が当時すでに36歳だったことです。

地元の知人たちからは「何を考えているの?」と本気で将来を心配されました。まったくの未経験の状態から、36歳という年齢でゲーム業界に挑戦することに不安がなかったといえば嘘になります。しかし僕は、人生の進路で悩んだときは「どうせなら、おもろい方で」と決めていました。人生の歩み方も漫画の物語と同じで、人と話したときに盛り上がる方がいいと思っているからです。
そんな考えのもと、即断即決で15年以上勤めた会社を退職しました。まわりには非合理で無鉄砲と言われるような決断でしたが、今でも自分の直感を信じて良かったと思っています。「おもろいことをやりたい」という性分は、ゲーム業界にもマッチしていたと思います。

*ホップ☆ステップ賞:『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて実施されていた新人募集企画賞

 

ーゲーム業界に入るまでは、どのように絵と関わっていたのでしょうか。

ずっと個人制作で漫画を描いていました。商業誌の掲載を目指すわけでもなく、何かの賞に応募するわけでもなく、ただ自分が満足できるものを目指していました。
当時は「上手く描けない自分には生きている価値はない」という考えが強く、絵を描く技術自体が自分の存在価値そのものだったように思います。自分の居場所を作るために、少しでも上手く描けるように努力を惜しみませんでした。働きながら制作していたので、少しでも多く時間を取るために睡眠時間を4時間未満と決め、休日も一日中漫画を描いていました。
ここまで努力する様子からは絵が上手い人のように感じられるかもしれませんが、当時の僕は技術不足で決して上手いとは言えないレベルでした。それを強く自覚していたので、「努力しない自分には価値がない」と言い聞かせ、毎日毎日、高熱が出ようが頭痛で嘔吐しようが、とにかく描き続けました。

まわりからは「プロにもなる気がない、同人誌を描いて売るわけでもない。何のためにやっているの?」と聞かれることがありましたが、そう聞かれるたびにイライラしたのを覚えています。答えは自明だからです。
「上手くなるために決まってるじゃん。絵が上手くなること以上に大事なことなんてあんの?」という気持ちです。
なぜそんなこともわからないのか、何よりも大事なものに命を懸けなくてどうするのか、関係ないから邪魔だけはしないでくれ、とまわりの理解がないことに腹を立てていました。
当時どうしてこれほど腹を立てていたのか、何がそんなにも許せなかったのか、正直理由はわかりません。追い込みすぎで、精神的なバランスが崩れていたのかもしれませんね。

 

ー個人制作から絵を仕事にするに至るまで、どのような心境の変化があったのでしょうか。

個人制作に没頭する日々は、ある意味完璧な生き方でした。問題設定もその解決もすべて自分で行い、成果を自己評価し、ときに自分を貶し、ときに称賛します。他者の介在もなくすべてを自己完結できるため、たいして傷つくこともありません。それはとても居心地の良い世界でした。まわりに理解されづらいことさえ受け入れてしまえば、何の問題もありません。

しかし絵を練習すればするほど、自分の腕を試してみたくなっていきました。振り返れば「自分にとって耳心地のいい言葉が欲しい」というわがままな動機だったように思います。まわりの無理解に腹を立ててばかりの自分が結局まわりの声を求めている、という矛盾に薄々気づきながらも、徐々に自分の描いたものをインターネット上に公開するようになっていきました。
批判の声もありましたが、同じくらい「面白い」と言っていただくことができ、肯定された気分になったのを覚えています。気づけば見知らぬ方にたくさんの応援をいただき、いくつかお仕事もいただけるようになりました。

しかし、どれだけ良い評価をいただいても素直に受け取れない気持ちが強くあったんです。絵の技術の未熟さは常に感じていて、自分の存在意義や価値を見い出せないままだったからです。相変わらず「将来何の役に立つの?」とまわりに聞かれることへの苛立ちが収まることもありませんでした。
身を削ってお金にならない絵を描き続ける先に何を求めているのか、自分でも出口が見えていたわけではありません。ただ、僕の中で確信していたのは「こういう生き方は物語としておもしろい」ということでした。努力が報われず惨めな喜劇でも、成功を手にする成長譚でも、どんな展開であれ、”おもろい”話になるならそれを自分で漫画にすればいい、と考えていました。

そんな折に手にしたのが「携帯ゲームの開発会社でイラストレーターを目指して働かないか?」というお誘いでした。「これはまたおもしろそうな展開が来たな」という思いで、二つ返事で了承しました。
そして、すぐに自分の認識の甘さを痛感することになります。

大企業からベンチャーへ。整備されていない環境でこそ、自力で考え共創する力が身に付く

ーゲーム業界に入った頃のことをお聞かせください。

ゲーム開発の現場でイラストを描き始めましたが、すぐに行き詰まりました。圧倒的な技術不足で思い通りの成果を出せませんでした。いざ厳しい展開に陥ると「どうせなら、おもろい方で」なんて調子の良いことをいう余裕もありません。すっかり落ち込んで、地元に戻りたいと弱音を吐く日々を過ごしました。1年足らずで前髪の右半分が白髪になったのには自分でも驚きましたね。
あれだけまわりに腹を立てていた自分が、何の役にも立てずまわりに迷惑をかけている。その事実が惨めで、情けなくて、かっこ悪くて、考えただけで悔し涙が出てくる始末でした。仕事終わりの帰り道に何度泣いたかわかりません。
当時所属していた会社には何度か退職を申し出たこともありました。そのたびに「もう少し頑張ってみませんか?」と、当時の同僚に親身になって励ましていただきました。

そんな折、新たな業務委託の出向先として参画したのがアカツキ(現アカツキゲームス)でした。当時、アカツキに対して特別な印象はなく、「新進気鋭の若手社長が引っ張るITベンチャー」というくらいの認識でした。むしろ、そういった類の会社への猜疑心さえあったかもしれません。
しかし僕にとって、アカツキとの出会いは人生観も仕事観も一変させるようなものでした。

 

ーゲームベンチャーには、どのような驚きがあったのでしょうか。

ゲーム業界に入る前、僕は製造業の大手グループ企業で働いていました。所属部署は200名を超える巨大なチームで、部長どころか課長とも一度も対面で話したことがありませんでした。職位者ははるか遠くの人で、僕にとっては声の届かない存在でした。「こうしたら組織がもっと良くなる。こういう改善があればみんなのやる気が出る」など聞いてほしい話がたくさんありましたが、直属の上長に話しても声が届いたと感じることはなかったです。気がつけば「現場の気持ちには関心がないんだな」という気持ちで、考えることも発言することも諦めていました。

そんな仕事観を根強く持っていたので、アカツキでの仕事は驚きの連続でした。
アカツキのメンバーは業務委託の僕に敬意を持って接してくれました。わからないことだらけの自分に、丁寧にわかりやすくゲーム開発の全体像を実践を交えて教えてくれました。そのおかげで僕は、イラスト業務だけでなくゲーム開発全体を考えながらイラストを制作する思考が根付いたと思います。
そして、特に驚いたのは「拍手の文化」です。誰かの発表が終わると、みんな自然と拍手をします。僕の発表も例外ではなく、口下手で上手く伝えられないところがあっても、まずは拍手をもって迎えてくれました。発言を承認されていると強く感じられたことで「意見を言ってもいいんだ」と考えが変わりました。
そして、チーム全員に大小さまざまな場面で意見を求められることにも驚きました。絵ばかり描いてきて説明が上手くない僕でも「ユーザーさんに喜んでもらうために、プロジェクトやチームを良くするために、今何ができるのか?」を常に考え、意見を出すことを求められます。前職ではなかなか相手にされなかったので不思議な気持ちでしたが、そんな環境に身を置くうちに「自分の意見を発信する」行動も取れるように変わっていきました。

ゲームベンチャーであるアカツキゲームスでは人との距離が近く、自分の声がまわりに届きます。意志を持って仕事をしないと意見を出せないので、「どうすべきなのか?どうしたいのか?」を問われ続けることは、ときに重圧となるかもしれません。「やりたい作業のことだけ考えていたい」と面倒に感じる人もいるかもしれませんが、自分の声が届く距離感で働けるのはとても幸せなことだと僕は思います。それは当たり前の環境ではないのですから。

 

ー他にも、前職とのギャップがあれば伺いたいです。

たくさんあるのですが、「ないものは自分たちで作っていく」という文化にも驚かされました。

前職の大手グループ企業ではマニュアルがとても整備されており、行動の一つ一つが項目化されたチェック表までありました。新しい仕事やイレギュラーが発生するたびに更新されるので、これに従えば新人でもベテランと同じ水準で作業できます。常にミスなく安定した成果を担保できるので、マニュアルは絶対であり、マニュアル通りの行動をしない従業員は上長から厳しい指導を受けていました。

15年以上、与えられたマニュアルに従って仕事をしてきた僕にとって、何もないベンチャーの環境での仕事は、暗闇の中で慣れない試行錯誤と失敗を繰り返す日々でした。大きなミスをしてショックを受けたことも何度もありましたが、チームメンバーと協力して振り返り、なんとか少しずつ必要なことを整理していきました。
こうしてチームにとって重要なものごとを自分たちで形にしていく過程は、与えられたものを頭で理解するのではなく、大切なものを体で覚えていく感覚でした。チームのコミュニケーションの在り方を見出すことができましたし、何もないところから自分たちでチームを作り上げる達成感はベンチャーでしか味わえない経験だと思っています。

前職の大手グループ企業での仕事は、綺麗に舗装されているものの、とても細い道を「はみ出さないように」と注意しながら歩くようなものだった気がします。歩きやすいかもしれませんが、この道を進む人はみんな似通った経験を積むことになるでしょう。また、「はみ出さないように」と失敗を恐れて進むと、心配と不安が常に付きまといます。
一方で、アカツキのようなゲームベンチャーでの仕事はあぜ道のようなものだと思います。整備されていないデコボコした道は歩きづらくつまずいて転んでしまいますが、そのたびに道をよく観察し、歩き方を工夫するようになりますよね。あぜ道を進む人はみんな違った経験を積み、得られる知見もさまざまです。それぞれの知見を持ち寄ることで、チームとしてより大きな知見を得ることもできます。

僕はアカツキでの仕事を経験してようやく、前職での整備された環境がとても恵まれていたこと、先輩方の環境整備の努力があってこそ大きな苦労もせず仕事ができていたことを思い知りました。それと同時に、アカツキの「ないものは自分たちで作っていく」という文化における経験の数々は、マニュアルに書かれた文字以上に大切なことを教えてくれたと実感しています。

チームで大きな挑戦をするために、フィードバックを受け入れ自分の内面を磨く

ー個人制作からチームで制作するようになったことによる苦労もあったのでしょうか。

そうですね。イラストの技術不足に悩むことはあったものの、チーム制作では、個人制作では叶わない大きな挑戦ができることがとても魅力的でした。ただ、お恥ずかしい話ですが僕は自分自身の内面の課題を十分理解できていなかったところがあり、自分自身の考え方が原因で壁にぶち当たることがありました。特に得意だと思っていたことが原因で上手くいかないときは、なかなか認めることができず解決に時間がかかりました。

例えば、善意と情熱だけでは解決できない場面があったことです。
当時チームに伸び悩んでいるメンバーがいたのですが、僕は心の底から励まし続けることで、情熱を取り戻してもらい、さらなる努力を促そうと躍起になっていました。自身の個人制作時代の経験もあって、伸び悩んでいる状況から抜け出すには情熱と努力こそが助けになると信じていたからです。
繰り返し熱意を持って説得し、奮起してくれることを期待したのですが、しばらくしてそのメンバーは職業イラストレーターではない道に進むことを決断しました。
僕よりも才能のある仲間の決断に納得がいかず憤りすら覚えました。しかし、当時会社にいらっしゃったカウンセリングの先生に気持ちを吐露した際、かけられた言葉にはっとしました。
「人は自分と似た境遇の人を見ると引っ張り上げたくなるものですが、相手が準備できていないタイミングでは受け入れるのが難しいです。今回はタイミングが合わなかったわけですが、あなたが真剣に良かれと思って声をかけていたことが伝わっていたからこそ、相手の方も辛かったと思いますよ」という言葉だったのですが、それを聞いて初めて、自分が善意の押し売りをしていたのだと理解しました。自分自身が想像以上に主観の強い傾向にあり、思い込みでコミュニケーションを取っていることに気づいたのです。

他にも、チャットでのテキストコミュニケーションにとても苦戦しました。
僕はもともと絵を描くことと同じくらい文章を書くことが好きだったので文章には自信があったのですが、メンバーとのテキストコミュニケーションで何度も行き違いを起こしていました。
当時僕は、「自分がどう思ったか」という感情を軸に、比喩や暗喩をたっぷり使って解釈の幅を持たせた長文を綴っていました。「相手を説得するには詩的にエモく表現することが大事だ」と本気で思っていたのです。解釈に幅があるのですから真意が正しく伝わるわけはないのですが、行き違いが起こるたびに「なんでわかってもらえないんだ!」と腹を立てていました。
そんな様子を見て、ある日チームメンバーから「今書いている小説みたいな文章はビジネス向けの文章じゃないから、行き違いが起こるんじゃない?」と指摘されて驚いたのを覚えています。
「え、そうなの?」という感想でした。僕が得意としていた書き方がビジネスの現場に向いていないことに気づいていなかったのです。
ここでも思い込みの強さが出てしまっていました。不可思議な文章を書いて勝手に怒っている様子はまわりから見ればずいぶん滑稽だったと思います。メンバーからの指摘で自分の文章の癖を理解してからは、書き方を練習し続けました。今でも決して上手とは言えませんが、以前よりもはるかに行き違いが起こることは少なくなりました。

イラストの仕事では「これがかっこいい!これが可愛い!」と自分を信じて魂を入れて描き込むので、イラストレーターにとって思い込みの力、自己確信はとても大切な素養です。一方で、チームでの仕事を通して、冷静にものごとを見る力がいかに重要かも痛感しました。
どちらの力も大切ですが、チーム制作の現場では場面ごとに求められる視点が変わるため、自分自身をコントロールして主観と客観を意識的に行き来する感覚が必要なんだと思います。特に僕は主観が強く考え方を根本的に変える必要がありましたが、少しずつ成長できていると思います。今でも道半ばですが、この感覚は常に磨き続けたいです。
そして、自分の内面の課題に気づけたのはまわりのみなさんの適切な助言のおかげです。チームで大きな挑戦をするために、フィードバックを素直に聞き入れる姿勢はとても大切だと思っています。

ゲームベンチャーという荒波のおもしろさ。予想していなかった役割を担い、貢献の仕方も変えていく

ー変化の激しいゲーム業界での働き方について伺いたいです。

ビデオゲームの歴史を振り返ると、80年代に家庭用ビデオゲーム機が一般化したのを皮切りに、16bit家庭用ゲーム機や32bit CD-ROM機の登場、家庭用ゲーム機のインターネット対応、携帯ゲーム機の隆盛、ソーシャルゲームの登場など、定期的に大きな変化を繰り返してきました。このようにゲーム産業はITテクノロジーの進化とともにその在り方を大きく変える産業であり、その進化は年々加速度を増しています。当然ゲーム開発会社もスピード感を持って適応するために常に大きな選択を迫られます。さらに市場のグローバル化も進んでおり、ビジネスチャンスが生まれると同時に環境はますます複雑化しています。その中でもモバイルテクノロジーは特に技術革新のスピードが速く、モバイルゲームの開発会社は変化の最前線にあると感じています。

そんな激動の環境で僕たちは働いています。技術革新や戦略次第でこれまで自分が培ってきた技術が通用しなくなる、ということも起こり得るので、常に変化に適応する能力が求められます。
今のモバイルゲーム業界を「変化の荒波が渦巻く大海原」と例えるなら、そこで活躍できるのは「荒波を乗りこなすサーファー」です。荒波を乗りこなせるだけの体幹の強さ、つまり芯が強くてバランス感覚の優れている人、そして何より波乗りを楽しめるマインドを持っている人が強いと思います。

ちなみに僕自身はどうかと問われると、答えに困ってしまいますね(笑)。昔は芯もバランス感覚もなく、ただ流されるような生き方をしてきたように思えて反省しています。今は、変化の波に飲み込まれないようにがむしゃらに泳いでいる感じかもしれません。
ただ、最初のうちはがむしゃらでも、常に成長意欲を持って挑んでいくうちに、荒波を乗りこなす人の身のこなし方や考え方が見えてきます。まだまだ道半ばではありますが、僕自身もそうして成長してきた実感があります。
何を学ぼうとするか、今までの自分とは違う視点で吟味する姿勢も学びの質を高めてくれます。ゲーム業界の諸先輩方から当時のお話を伺ったり本を読んだりしても、僕たちの想像をはるかに超え難題をリアルに乗り越えて来られた先輩方の経験は、座学だけで学べるものではありません。荒波における心構えは激動の中に実際に身を置いてこそ学べる大変貴重な経験であり、一生ものの武器となって重要な局面で必ず自分自身を助けてくれると思います。

 

ーご自身の心構えにも変化があったのでしょうか。

はい。荒波の中でがむしゃらに過ごすうちに、少しずつですが変化を重ねていきました。社内外に力を貸してくれる人も増えましたし、イラスト以外にもチームに貢献できることが多くなりました。気がつくと絵を描くこと以外の仕事がどんどん増えていきました。
貢献の機会が多くなるのは嬉しいことですが、同時に「自分は何のために上京してきたんだっけ?絵を描くことが何よりも大事だったのに、今の仕事は本当にやりたいことなんだっけ?」というように、自分の気持ちに折り合いを付けられずモヤモヤする時間を過ごしていました。

そんな折、当時上長だった現社長の戸塚にかけられた言葉が今も心に残っています。
「柴田さんのスキルが10上がれば、会社には10の貢献になる。柴田さんが今持っている10のスキルを10人に広めれば、会社には100の貢献になる。柴田さんには100の貢献を期待したいんです」。
その言葉を聞いて、確かにそうだと思いました。僕よりも技術のあるイラストレーターは世の中にたくさんいるので、自分の腕が多少上がったところで、今の会社への貢献は限定的だと感じたからです。
それに何より、僕自身が「イラストレーターを応援し、ゲーム開発に関わるすべての人に貢献したい」という想いを抱いていることに気づいたのです。「自分のやりたいことと求められることが重なるのなら、求められている場所で貢献しよう」と素直に思いました。すっかりモヤモヤもなくなり、それまで以上に業務にもやりがいを感じるようになったことを覚えています。

初志貫徹で、自分のやりたいことで大成するのは素晴らしいことです。しかし、できることややりたいことが時間とともに変化する場合もあります。予想もしなかった仕事に自分自身が向いていると気づくこともあると思います。もし向いていることと求められていることが合致するのであれば、それはその人にとってかけがえのない仕事になるのではないでしょうか?
求められることは常に変わり続けます。大切なのは「まわりからの期待に対してどんな貢献をしたいのか?どんな人生を歩めば幸せだと思えるのか?」をじっくりと考えることだと思います。

 

アカツキだから生き残ることができた。優秀なメンバーと距離が近い環境で、これからも”おもろい”挑戦を続けたい

ーアカツキ、アカツキゲームスの特徴や魅力を教えてください。

キャラクターを描くことがすべてで、それ以外のことは頭になかった僕ですが、アカツキ、そしてアカツキゲームスで10年以上仕事を続けてきました。その中で僕自身の考え方も求められる役割も大きく変わりました。失敗は数え切れないほどありましたし、後悔もたくさんあります。気持ちが塞ぎ込んでもう立ち直れないと思ったことも何度もありました。それでもやりがいを持って楽しく仕事を続けていられるのは、ひとえに社内外を問わずまわりのみなさんに支えていただいたおかげです。

業界の安定性やキャリア成長、収入など会社を選ぶ軸はたくさんあります。どれも大切だと思いますが、10年以上この会社にいるなかで、僕にとって重要だったのは「誰と働くか」だと改めて感じます。思い込みが強く決して器用ではない僕が何とかここまで生き残ってこれたのは、まわりに尊敬できる人たちが数多くいてくれたからだと実感しているからです。

プレゼン下手で資料もろくに作れなかったとき、どういう視点で資料を作ればいいか丁寧に教えてくれたのは法務のメンバーでした。
他社との交渉方法がわからず悩んでいたとき、考え方を教えてくれたのは僕よりひと回りも年下の経営企画のメンバーでした。
人との向き合い方で悩んでいたとき、いろんな方法を授けてくれたのは人事のメンバーで、僕の凝り固まった考えを諭してくれたのは職種の違うプロデューサーでした。

年齢も職種も関係なくいろんなメンバーにさまざまなことを教わりましたし、すぐ近くで他のメンバーが仕事をする様子を見て、たくさん学ばせていただきました。そのおかげでできることがずいぶん増えました。人としても多少は成長できたと思っています。まわりに腹を立ててばかりだった僕が、これだけ周囲に感謝できるようになるとは思ってもみませんでした。

人との距離が近いところが、この会社の大きな魅力だと思います。成長意欲さえあれば、どこまでも学べると思っています。人としての成長は代え難いもので、他の環境では簡単には得られないと感じます。こんな成長を、少しでも多くの人に実感してもらいたいと切に願います。

 

ー最後に、これから参画される方へのメッセージをお願いします。

イラストレーターを目指す世の中の人材が、職業イラストレーターとして10年以上働き続けることは、きっととても困難なことだと思います。それでも僕は、この環境で「誰と働くか」に恵まれたからこそ、何とか生き残ることができたと思っています。

アカツキゲームスには近年、ゲーム開発の各領域におけるスペシャリストが数多く参画してくれています。これから参画される方々は、そんなスペシャリストからも学びを得られることがとても羨ましいです。
激動の業界を楽しみながら、挑戦や学びの機会をモノにしたいと感じる方々と、ぜひ一緒に仕事をしたいと思っています。

読んでくださったデザイナー・イラストレーターを目指す方々が、これからの生き方を考える際に少しでも参考になれば幸いです。

 

▼26新卒アーティスト採用情報はこちら
https://www.vivivit.com/job-postings/11555