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音楽プロデューサー 亀田誠治「なだらかにつなぐ」仕事術(前篇)

2019.12.03

2019年6月、ビルに囲まれた東京の日比谷公園。
日本を代表するベーシストであり音楽プロデューサー亀田誠治さんが実行委員長を務めるフリーで誰もが参加できるボーダーレスな野外音楽フェス”日比谷音楽祭”が開催されました。

誰かを楽しませる、幸せにするとはどういうことか。いい仕事をするためにしていることは何か。感動を仕事にしたい人、仕事で感動をしたい人へ贈る「感動の仕事術」シリーズ第二弾。アカツキCOO香田哲朗が亀田さんにお話をうかがいました。

後篇はこちら

亀田誠治 Seiji Kameda音楽プロデューサー・ベーシスト

1964年ニューヨーク生まれ。1989年、音楽プロデューサーおよびベーシストとしての活動を始める。これまでに椎名林檎、平井堅、スピッツなど数多くのプロデュース、アレンジを手がける。 第49回、第57回の日本レコード大賞では編曲賞を受賞。『亀田音楽専門学校(Eテレ)』などを通じて次世代へ音楽を伝えている他、2019年6月に開催された日比谷音楽祭では日比谷音楽祭実行委員⻑を務める。来年2020年5月30、31日には第2回目の日比谷音楽祭が開催決定。

香田哲朗 Tetsuro Kodaアカツキ共同創業者 取締役COO

1985年 長崎県佐世保市生まれ。 佐世保高専卒業後、筑波大学工学システム学類へ編入学。 アクセンチュア株式会社に新卒入社し通信ハイテク業界の戦略/マーケティング/IT領域の コンサルティングに従事。退職後に塩田元規とともにアカツキを創業。アカツキの音楽の仕事としては、ファンアプリプラットフォームの開発・運用を手がける。最近はレコード蒐集も趣味の一つ。

直感的に反応した “日比谷音楽祭”

香田 日比谷音楽祭の構想をはじめて聴いたのは、2018年夏頃。僕は「アソビル」のために世界中のショーやイベント、美術館を見て回っていて、リアルなエンターテインメントの世界にフォーカスしていました。そんなタイミングだったこともあって、日比谷音楽祭の『ボーダーレス』『フリー』というコンセプトには直感的に反応しました。

亀田 3年ほど前から、日比谷公園の方から公園全体を使った音楽祭をプロデュースして欲しい、というお話をいただいていました。ミュージシャンからしてみると、日比谷公園の野音(日比谷野外音楽堂)は武道館と並んで特別な場所。

その野音だけではなくて公園全体を使って良いというお話をいただいた時に、これは絶対僕がやるんだと胸に決めて、向こうから頼まれたんですけど、誰にも取られたくなかったから「僕にやらせてくれ!」ってこっちからお願いしました。

亀田さん

たとえ頼まれた仕事でも、誰にも取られたくない仕事なら「僕にやらせてくれ!」とお願いしてでもやる(亀田)

日常に音楽が溶け込むニューヨーク

亀田 僕はニューヨーク(NY)生まれなんですけど、自分のルーツにもう一度触れたくなって、40代の終わりから暇を見つけては年に2週間ほどNYに行ってました。NYのセントラルパークで夏の間に催されるサマーステージっていう、フリーコンサートが素晴らしくて。

出演者たちはノージャンルで、世代も様々。それを見に来る人もいい雰囲気の老夫婦だったり家族連れだったり。あとはセントラルパークをジョギングしてる人がふらっと立ち寄っていたりとか、観客の世代もボーダーレス。しかも公園で一日中楽しんでいる。これを日比谷公園でも実現したいと思いました。だから、日比谷音楽祭はフリーイベントにする方向で始まったんです。

日比谷公園

東京は冷たい街?日比谷で感じた温度感

香田 僕は初日を観させてもらったんですけど、場の雰囲気に感動して、ウルっと来ちゃいました。それくらい日比谷公園が持っている雰囲気が素晴らしくて。特に夕方から夜にかけての雰囲気は最高でした。

亀田 今回は「親子三世代で楽しめる音楽祭」をコンセプトにいろんなアーティストに出演をお願いしました。芝生の上で家族連れが上質なプロフェッショナルが奏でる音楽にリラックスして楽しんでもらう。また、楽器を触ったことがない子どもたちが楽器を体験できる場なども用意しました。

香田と亀田氏

香田 お客さんはもちろん演者側も幅広い年代が揃えば、まさに「親子三世代で楽しめる音楽祭」になりますね。それを日比谷公園という東京のど真ん中で行ったことで感じるものはありましたか。

亀田 親子連れが楽しんでいる姿を見た時に、東京の街って意外と人に優しい街なんじゃないかなって思いました。いろんな人の集まり、出会いがあって、お互いがそれを許しあっている、排除しない。これは東京の都心ならではだなって手応えがあったんです。

緑の公園と高層ビルが共存しているように、人間も世代を超えて共存していて、音楽もいろんなジャンルが共存している。それを追求していく中で最終的に掴んだものは「東京の街は優しい」っていうことでした。

香田 確かに、普段だと「東京砂漠」なんて冷たいイメージですもんね。僕が感じたのは、『公園全体が亀田色に染まってるな』ってことですね。優しい感じというか。

普通のロックフェスはバンドにとっては勝負の場所ですが、日比谷音楽祭は普通のフェスとは違う「自分たちなりに楽しめたらいいじゃん」っていうのがお互い許し合えている感じがあって。「必ずしも音楽に“ノル”必要はないんだよ」っていう雰囲気をステージから感じました。これが亀田色なのかって。

違和感から生まれた「誰も排除しない」フェス

亀田 ここ数年の傾向として、音楽やフェスはターゲットを絞った作りになってきているように感じて、少し違和感を持っていたんです。

僕のこれまでの音楽体験であったり、様々なジャンルのアーティストとの関わりの中で、キレッキレのロックをやるかと思えば、民謡だって作るしね。大事なのは、それをどう咲かせるかなんです。

それを25年重ねてきて今、色んな人との出会いに恵まれ、花をいくつか咲かせることができるようになってきた時に、気がつくと、花だけじゃなくて木や森みたいに色んなものが共存している世界を作っていきたいと感じていたんです。その中でも、ターゲットを絞らないやり方をしたいと。

勿論、ターゲットを狙っていくのも素晴らしいと思います。でも、そうではないものもあってはいいのではないかと。僕がいつも言うのは「誰も排除しないものを作りたい」と。絶対に重なりあう共感ポイントがあるはずだと。日比谷音楽祭は、それのリアルな場所としての、一つの結晶という感じですね。

亀田氏

誰も排除しない絶対に重なりあう共感の結晶が日比谷音楽祭だった(亀田)

アカツキっぽい「なだらかにつなぐ」やり方

亀田 はじめてお話しした時に香田さん、「アカツキのメンバーには自分の好きな所で成果を出してもらいたい。働いているメンバーをなだらかにつないでいきたい」っていう言葉を使ったんですよ。そこから僕は、方々で「僕は音楽で人々をなだらかにつないでいきたい」っていう言葉を山ほど使わせていただいています(笑)

香田 「なだらかにつなぐ」は、その時期僕の中でもしっくりきていたワードで。特によく使っていましたね。

笑顔の亀田氏

亀田 「なだらか」っていうポイントに僕は惹かれたんですね。「繋がっている」っていうのは、特に2011年の震災以降、「繋がり」や「絆」という糸偏がつく言葉はみんなの中にスッと入る言葉だと思いますけど。ただ、「なだらかに」ってなかなか出てきませんでしたよね。それがいいなって思って。僕は今まで自分がやろうとしてきたことはこういうことなんだなっていう。

曲を作るときでもずっとそういった思想があって。「なだらかに」メロディーをつないでいく。要するに、音楽のドラマとしても、なだらかにつないでいく必然性というか。よくインパクトがあるものが勝ちだよ、とかいうじゃないですか。僕は、それは絶対違うと思っていて。でも、インパクトは「なだらかに」つながったものが土台にあって、そこに新しいことを起こすからインパクトなのであって。インパクトだけをポンポン投げていても、それはインパクトにならないと思うんです。

香田 アカツキCEOの塩田が、去年バーニングマン(アメリカで開催される大規模なイベント)に行って以来、「No spectator(傍観者になるな)、Give & Give、Anything is OK」っていうバーニングマンの思想に感化されて帰ってきたんです。

バーニングマン

バーニングマンでは参加者がそれぞれの表現でGiveを交換する

毎年6月、アカツキでは周年祭をやってるんですが、今年は初めてマルチステージ化にしました。バンドステージがあれば、eスポーツをする場所があったり、瞑想する場所、さらには靴をデザインする場所があったりと、かなりカオスな祭りにしたんです。

それぞれの楽しみ方が束縛されずにできる感じがあって。そこに塩田がやりたがっていたバーニングマン的な要素が表れていたんだと思うんです。バーニングマンって「お金が存在しない」ことがフォーカスされがちですけど、どちらかというと、自分が選択できる、強制されないという所で、自分がチャレンジしたい時にできる。ここに次の時代感があるなって思っています。

香田と亀田氏

インパクトがあるものが「勝ち」な訳じゃない。なだらかにつながった土台の上に新しいことを起こすからインパクトになる(亀田)
アカツキは、働き方も表現もみんなが選択してチャレンジできる。それをなだらかにつないでいくのが僕の仕事だと思っている(香田)

経済や競争から抜けて、好奇心を解放する

香田 僕は近頃、好奇心の育て方に課題がある気がしています。学生時代は一般的な科目は勉強する必要がありますけど、その中で苦手な強化があるとひたすらそれをやらされて、そうすると段々と知的好奇心が失われちゃう。特に日本は「全部まんべんなくやらないと」という意識が強い気がするんですよね。アカツキの周年祭はそれとは逆で、みんなが好奇心の向くことだけに熱中すればいいよねって考えがあるんです。

その周年祭は、アカツキにとってショールーム的なものです。自分たちのヴィジョンを経済活動とは関係なくやってみようというのが目的です。それと日比谷音楽祭の世界がリンクしているなって。我々は新しい価値を出しているんだけど、他のものを排他的にしているわけじゃないというか。亀田さん自体が競争のパラダイムではないことが、音楽祭の雰囲気に繋がっているし。我々のアカツキがやりたいことにも近いかなぁと思っているんです。

ハートドリブンフェス

アカツキに共感する起業家やアーティストも参加した周年祭「ハートドリブンフェスティバル」

平均点あげようとしなくていい。興味と好奇心のむくことだけに熱中すればいい。競争しなくても、新しい価値観は出していけるから(香田)

「ならだかにつなぐ」音楽が人を幸せにする

亀田 僕は、人はどこかに必ず寄り添える部分があると信じているんですよ。集合のベン図で重なる部分というか。これがどんな人同士でも絶対にあると思ってて、そこを埋めるのが音楽な気がするんです。これが「なだらかにつなぐ」ということになるわけですが、先ほどの周年祭の話もまさに同じことだなって思っていて。「なだらかにつながる」、「重なる部分」を大事にすると人は幸せになれるし。

あと、誰でも人のことも幸せにできるようになると。これだけを伝えたくて僕は音楽をやっているんです。単純に音楽が好きだということもあるけれども、困難に立ち向かってまで音楽を続けている理由というのは、「音楽で人をなだらかにつないでいく」ということに希望を見出していて、信じているから。僕がやりたいのは、さりげない日常生活の中から、人々が内面から変わっていける社会を作っていきたいんですね。そこに音楽の持つ力を注ぎ込みたいんです。

「なだらかにつながる」を大事にすると人は幸せになれる。人のことも幸せにできるようになる。これだけを伝えたくて僕は音楽をやっている(亀田)

構成:鶴岡 優子  文:池田 鉄平 写真:大本 賢児 イラスト:松本 奈津美